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中古車の買取のみを専門に扱う、買取専門店が数多く存在していますが、中古車買取専門店の誕生は、それほど昔の事ではありません。
中古車の歴史は下取りから
日本における中古車売買の歴史としては、ディーラーへの下取りから、直接ディーラー系列で販売される車から始まります。ディーラーはメーカーの新車を販売することで得られる「販売奨励金」を軸にして経営していました。携帯電話販売などの奨励金と同様、1件成約ごとにいくら支払う、という制度ですね。そのため、買い換え時などに発生する中古車の取り扱いにはあまり熱心ではなく、抱えきれなくなった中古車などは、ブローカーなどを通じて零細企業がほとんどの中古車販売店などに流していました。
車の流通量が増えれば、中古車の数も増えていきますので、徐々に専業の中古車販売店が増加していきました。1960年代から1970年代にかけて、後楽園球場(現在は東京ドーム)などで中古車フェアが開催され、多くの中古車を一斉に集めたフェアがこのあとも定期的に開催されます。それまでは単発的に広場や大きい駐車場などで開催していましたが、この大規模なフェアの成功以降、「中古車市場」の認知が広がり、常設の展示会場が出来たりします。
中古車の信頼向上のため協会を設立
その頃までの中古車販売店というのは玉石混交の状態だったので、あまり信頼の置けるものではありませんでした。そこで業界の信頼性、社会的地位の向上などを目的として、1971年に日本中古自動車販売協会連合会(JU、中販連)が設立されました。
中古車市場が盛り上がるにつれて、専業の中古車販売店も増えていきましたが、まだ不正行為をする会社も多く、信頼できる会社は少ない状況でした。そのため、中販連に加盟している会社はノボリなどを店頭に掲げることで、他の会社とは違う信頼できる店舗であることをアピールしました。
画期的なオークションシステムの誕生
また中古車市場が活発化したことにより、業者間取引も増えていきました。オークション形式によって売買が積極的に行われるようになり、現在も大手であるオークネットによる世界初の中古車TVオークションの開始(1985年)、衛星通信を使ったオークションの開始(1989年)など、徐々に大規模で効率的なオークションが開催されるようになりました。
また中古車の流通量が増えたことで、例えばスポーツカーのみなど特定の車種のみを扱う専門中古車販売店もこの頃に誕生しました。在庫を揃えられなければ店頭に並ぶ車がありませんが、業者間取引が安定して開催されるようになったおかげで、特定の車種でも全国を対象に在庫を探すことが出来るようになったということです。
90年代から中古車市場が大きく拡大
1990年代に入ると、中古車市場はバブル景気の影響もあり、より大規模に成長していきます。1989年には「アップルオートネットワーク」が設立され、1994年には現在最大手である「ガリバー」が中古車買取専門店として参入してきます。
またこの頃は新車購入よりも中古車を購入する需要の方が強く、完全に中古車市場が確立し、大きな市場となっていきました。新しく車を購入する場合に、従来は妥協として中古車を買うというイメージを持たれていましたが、この頃からは当たり前の選択肢として中古車を買う人が出てきました。
メーカーも買取専門店を設立
中古車買取専門店の勢いを無視できなくなったのが、下取りで中古車を扱うメーカー系のディーラーです。新車販売が伸び悩む中、車に対する需要の矛先が中古車に向かったおかげで、中古車市場が一番元気という状況が続きました。それに対抗するため、メーカー最大手のトヨタ系でも「T-UP」を設立し、日本最大級の買取専門チェーンを作りました。それ以降、各メーカーも中古車買取に力を入れるようになっています。
インターネットの発達による影響
90年代以降、インターネットの発達とインフラの普及に伴う低価格化が進んだことで、オークションコストなども下がり、また情報の流通量が飛躍的に高まった事で新しい販路も生まれました。
まずインフラの低価格化とは、パソコンの普及に代表される、コンピューターの技術進歩による価格下落です。Windows95の時代には20万円超えが当然でしたが、それより前は数十万円~100万円超えする事も珍しくありませんでした。現在は遥かに性能の良い製品を当時より安く買えますし、技術進歩が続く限り性能と価格は反比例していきます。
以前は遠隔地でのオークションは衛星通信を使った高額なシステムが必須でしたが、ネットワークインフラの整備などにより開催コストも下がり続けています。コストが下がれば、当然買取価格にもプラスの影響があります。
インターネットが普及したことにより、世界規模での情報交換が活発になりました。売買契約さえネット経由で行えるようになりましたので、その結果、信頼性に高い評判がある日本車を中古車として輸出販売する事業が生まれています。有名なのはトヨタのハイエースです。国内で10万kmを超えた車は中古車としても価値が低いように思われがちですが、海外では全くそんな事がなく、日本車は10万km超えでも全然余裕と信頼されています。そのため、特にハイエースなど荷物をたくさん運べる営業車に需要があり、国内で売るよりも高く売ることが可能になりました。
円安を背景にした並行輸出
2005年頃には急激な円安が進んだこともあり、新車を商社や正規代理店を通さないで輸出する、並行輸出する車も増えてきました。以前であれば販路は商社や正規代理店が抱えていたものですが、インターネットの出現によってネット上で売買契約が可能になったため、規模が少ない販売も多くなりました。
輸出については、1980年代頃から盛んに行われるようになったようです。当初は日本と同じ左側通行の国に輸出されることが多く、バングラデシュ、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ地域の各国、イギリスなどが主な取引先でした。1990年代からは右側通行のロシアやモンゴルなどへ、右ハンドルのまま輸出する事が増えてきました。メルセデス・ベンツやBMWなども過去日本では左ハンドルが当たり前だったように、日本車のブランド価値が認められている国によっては、右ハンドルでも充分需要がありました。
国内では値段がつかなくても、輸出なら
中古車を海外へ輸出出来るようになった事で、国内では値段がつかないとされる車でも高額で売却出来るケースが増えてきました。carviewなどはインターネット専門の中古車情報提供会社ですが、海外向けにサイトを解説し中古車情報を提供している事で、直接海外在住の個人が購入契約をするケースが増えてきています。信頼性や品質の担保保証の問題、法律の整備がクリアになれば、今後は国内・海外を問わずに個人間での売買が増えていくかもしれません。
新車市場の衰退と比較した中古車市場の成熟・安定
話を国内に戻すと、中古車市場は年々拡大を続けて、1990年には中古車登録台数が年間約710万台あり、1996年には年間約800万台に到達しますが、その後は約800万台をキープし、2007年頃から減少に転じます。新車との比較では、1992年に中古車の登録台数が新車の登録台数を上回り、それ以降は中古車が上回る状況が続いています。
新車が売れなくなり、中古車の需要が安定している背景には、様々な要因があります。消費スタイルの変化、不景気の影響、自動車リサイクル法の施行などです。日本経済が拡大成長を続けていた時代にあっては、新しいものが良いものであり、所有が富の象徴でした。そのため、新しくて高額なものに対する憧れを多くの人が持ち合わせていましたが、バブル崩壊時期を前後して、そういった思想や価値観に変化があらわれはじめます。まだ使える物を大事に使わないのはもったいない、という思想は新しくありませんが、再発見のような形で大切にされ始めたのもこの時期ですし、普及が飽和状態を迎えたところで、中古車価格の割安感もあり需要が流れたといえます。たった3年3万km程度しか走っていない車が新車の半額近くで購入出来れば、コストパフォーマンスとしては中古車に軍配があがります。
自動車リサイクル法の施行
2005年に施行された自動車リサイクル法は、廃車処分時にかかる費用をあらかじめ徴収し、リサイクル費用としておさめる制度です。従来であれば解体処理をしていた古い車が、この制度の影響で解体せずに中古車として流通させようとして取引したため、中古車の流通量を増やす結果につながりました。それ以降、リサイクル料を支払っていない車は市場に存在しませんが、中古車として売買する際にリサイクル料が還付されるため、ますます中古車として流通させた方が経済的にメリットがあるため、廃車よりも中古車として取引する人が増えています。
続々と設立された中古車買取専門店
このように中古車市場が安定して推移していくなか、中古車買取専門店も増えていきます。前述の「ガリバー」「アップル」「T-UP」以外にも、1987年に「カーチス(旧ジャック)」、1998年に「ラビット」、1999年に「ユーポス」、2000年に「カーセブン」などが登場しています。
簡単に中古車買取の歴史をみていきましたが、古くはディーラーの下取りしかなかった時代から、現在はネットを活用して個人同士で海外の人に売買出来るところまで、大きく変遷してきました。従来であれば価値がつかなかった車まで、現在は高額で売れるチャンスがあります。きちんと買取専門店を見極めて売ることをおすすめします。
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